キリスト教入門講座 第四回【全十二回】レビュー

今回は、「3つの自然愛、ストルゲー・エロース・フィリア」について学びました。

 

前回(第3回)の「善と悪の定義:人間の行為と自由意志と価値体系」で学んだように、人は善いことを為すことができる存在であると同時に、「今の自分にとって、都合の良いものを選ぶことを優先し、他の人々にとっての善、長期的視点から見た善を後回しにしてしまう」傾向がある存在でもあり、ユダヤ教は、この傾向によって人間の世界に生じる問題を、アダムとイブの物語に託し、その問題を後に「原罪」という概念でとらえられるようになりました。

つまり、放っておくと、人は知らず知らずのうちに、自分さえよければ…、自分のグループさえよければ…、という発想に陥りやすい存在なのです。

 

自分や自分の所属するグループにおける「善」を追求するために最も効果的な手段は「相手の考える力を奪う」ことです。そのために「恐怖」が使われます。

力の強いグループは、力の弱いグループを恐怖によって支配し「考えさせない」ようにすることによって、自分たちの善を追究しようとします。

 

では、この「恐怖」による知性の支配に対して、人はどのように対処すればよいのでしょうか。また、神はどのような助けを歴史の中に置いてきたのでしょうか。

 

人類の歴史の中には、洞察逃避という束縛から我々の知性を解放する知恵が色々存在しています。祈り、禅、マインドフルネスの訓練、知性の仕組みについての理解、Critical Thinkingなど、様々です。その中でも、「恐怖」によって閉ざされた心、傷つけられた心をいやす仕組みの一つが愛です。

 

古代ギリシャでは、愛は主に1.ストルゲー、2.エロース、3.フィリア、4.アガペーの4つの愛に分けて考えられてきました。

このうち1~3は「人間の愛」で、4つ目のアガペーは超越者(神)の愛です。

以下で1~3の「人間の愛」の特徴を見てみましょう。

 

  • ストルゲー

これは「親愛」とも呼ばれ「親子相互の関係性」に象徴される愛です。しかし、このストルゲーとしての愛は親間子の愛のみにとどまるものではありません。兄弟や近しい人々、ペットやぬいぐるみとその人との間に生じる愛もストルゲーに含まれており、これは子供が成長するために不可欠な「親密圏」とも重なります。

 

  • エロース

これには二つの側面があります。(1)男女間の愛、そして(2)芸術への愛です。(1)男女間の愛は、男女間に目覚める愛です。「エロース」というギリシャ語から、「erotic(性的な)」という英語が派生していますが、エロース自体は、性的な部分を含みながらも、男女間の精神を結ぶ愛です。そして(2)芸術への愛は①芸術対象への愛と②芸術を生み出す愛とに分類されますが、これらはいずれもエロースとしての愛として示されています。

  • フィリア

フィリアは「友愛」「同士愛」を指します。ある共通の目標に向かって進んでゆくそのグループの構成員同士が互いに支え合い、いたわり合う過程で生じてくる愛のことです。例えば学校の部活動で同じ目標に向かい切磋琢磨する部員同士はこのフィリアの愛で結ばれています。

 

これら3つの「人間愛」の【長所】は、人間として健全な成長を促し、社会・文化が存続するためには欠かせない栄養素となること、そしてもし様々な悪に傷ついても、傷を癒し、立ち直らせる力を持っていることです。

しかし、これらの愛は短所も持っています。

 

3つの愛の【短所】は、それらが①自然発生的であること、②双方向的であること、③愛する相手の数が限定的であること、そして④腐敗し、ゆがみうる可能性を持ったものであるということがあげられます。

まず、①、④、③の特徴について考えます。(②については、アガペーの性質を取り扱うときに対しさせて考えます。)

 

①自然発生的

これらの愛は、誰かが指示したり、促されたりして行われる行為ではなく、自然に発生してくるものです。子供が生まれれば、子供への愛は自然にあふれ出てくるものであり、男女間の愛はもとより、フィリアも、目標に向かってともに活動するプロセスで、いつの間にか生じてくるものです。

④腐敗しうる、歪み売る

それぞれの愛は本来的に機能するのみならず、ゆがんだ形で生じることもあります。

例えば、教育の名のもとに親が子を支配したり、男女間の関係で相手の成長を阻害・攻撃したり、仲間という名のもとに部活のメンバーを恐怖で支配したり…

 

それらは「愛」という名のもとに行われている行為であるがゆえに、その腐敗やゆがみは気付かれにくいのです。

③限定的

また、この三つの人間愛は対象となる人間の数が「限定的」なものなのでもあります。親子間の愛で、家族以外の誰かを愛することはありませんし、恋人、配偶者がいなければ、エロースが、共に生きる人々がいなけれフィリアを経験することはできません。

これら3つの愛をセイフティネットにたとえると、人間社会の中では必ずこのセイフティーネットがない人々が現れます。

 

では、この腐敗してしまったりゆがんでしまった愛は、二度と正しい道に戻ることはできないのでしょうか。また、この3つの人間愛というセイフティーネットがない人、そして、セイフティネットがゆがんだり、穴が開いているために、そのネットから抜け落ちて苦しむ人は苦しみの沼の中で立ち往生するしかないのでしょうか。

 

その答えは4.アガペー、超越者、つまり神の愛においてみることができそうです。

 

次回は7月24日、「4つ目の愛:アガペーの特徴」についてお話ししていただきます。

 

次回もお楽しみに!

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