「さらば東大!~最首先生と考える学問の意義~」【オンライン学びサロン】レビュー

「さらば東大!~最首先生と考える学問の意義~」【オンライン学びサロン】、第一回が終了いたしました。

今回のサロンでは、最首先生の東大での最終講義「さらば東大」が生まれた経緯を紹介していただいた上で、学問の本質を問い直し、そこから「人間」社会、そして二者性へと至る最首先生の思想を概観しました。

そもそも最首先生の「さらば東大」は、「学問」をやっていると称する「学者」、ひいては大学教育への異議申し立てでした。学者の人間ぶりと学問の関係、そして学問そのもの、これらは本来一貫しているものと思われがちですが、実際にはそうではなかったのです。そこには「学問」の本質が欠如していました。

では、学問の本質とは何なのでしょうか。

最首先生によると、学問の本質とは「なぜ?」を他人に問わず、自らに問うことです。
ですが人はここでまた困難にぶつかります。
「なぜ?」を自問し、一つの「なぜ?」が解明されると、ほとんどの場合新たに十のわからないことが生じてくるのです。これではいつまでたっても「本当のこと」にたどり着けそうにはありません。

しかし、最首先生によればここがまさしく学問のスタート地点なのです。

いつまでたっても「わからなさ」がついて回り、それがどんどん膨れ上がる、この「わからなさ」をわかり、それでもなお自らに「問う」たとき、人は「学問」=最首先生の言葉に直すならば「問学」をはじめることとなります。

最首先生はこの「問学」を繰り返すうち、「人間」というものに直面しました。そして「二者性」という課題を見出し、現在に至るまで取り組んでおられます。

今回のサロンでは、学問の意義を問い、最首先生の思想を垣間見ることができましたが、やはり時間が足りず、続編の回を設定させていただくこととなりました。次回の日程、題名が決まり次第、またご報告させていただきます。

サロンもとても和やかなもので、何気ない会話の中に宝石のように核心となるものがちりばめられている最首先生らしいお話でとても有意義な回となりました。

次回もお楽しみに!

(秀島)

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