今回は「平和」という、普段より若干とっつきにくいテーマだったと思います。
それでも議論は白熱し、様々な方向に広がりながらも、哲学的に深まっていきました。
私たちは平和について、しばしば戦争との兼ね合いで考えます。
特に日本という環境において、この時期に「平和」についてじっくり考え話し合うことにはかなりの意義があるのではないでしょうか。
実際、戦争体験やその悲惨さを聞いたりした経験が参加者の皆様にもありました。
たしかに平和そのものは、人間にとって自然に到達できるものではないのでしょう。
ではいかにして平和に至ることができるのか、その契機の一つが「戦争体験」を聞くという経験なのかもしれません。
また、国家間での解決手段として、国際司法裁判所なども挙がりました。
加えて、先日読書会を開催したカント『永遠平和のために』にもみられるとおり、そうしたナショナリズムなあり方を残した平和の他、国家間の垣根がないかのようなコスモポリタニズムの考え方にも言及がありました。
カントにおいて、理性的な個人の道徳性・平和への意志は、自然の意図による保証を介して、国家としても可能なのかもしれません。
一方で、目下の課題であるコロナ対策は、ワクチンナショナリズムに走るなど自国民を優先する気配が見られるという話もありました。グローバルな問題も、現実的には個別的でローカルな解決手段しか採りえないのでしょうか。
今回私自身も無自覚に「内と外」を区分けしがちな日本人であることを自覚し、その上での批判的思考の難しさを痛感しました。
皆さんはいかがだったでしょうか。
さて、次回は8/8開催『告白』(アウグスティヌス)です。
以下、担当講師の樋笠勝士教授からのコメントです。
わたしたちは様々な人と語ります。それは仕事の言葉であったり、愛の言葉であったりという風に人間関係と共にあります。それらの言葉は生活することに大きな影響を与えます。他方、わたしたちは雑誌や本の言葉も読み、そこから多くの知識や思想を受け取り自らの生活に活かしたりします。これらの言葉は自分の生活に直結した役立つ言葉であると言えるでしょう。しかしそれだけではありません。落ち込んで歩いているときに、向こうからやってくる知らない二人連れが何か話し合っていて、通りすがりに「やってみればよいじゃないか」という声が聞こえ、これがきっかけとなってやる気が出るときもあります。言葉は、人間に対して行動を導き、心を励まし、癒やし、そして解釈を促すのです。このような「言葉の経験」を考えます。
奮ってご参加ください!
(伊勢)