今回のキリスト教入門講座は、「自然宗教と啓示宗教/ユダヤ教・キリスト教の起源」につい学びました。
世界には様々な宗教がありますが、その宗教は大きく「自然宗教」と「啓示宗教」に分けることができます。
「自然宗教」とは、自然やあらゆるものに対する「人間の心の動き」、「畏怖」や「感動」の念に端を発するものです。いわば、人間から始まる働きととらえてよいでしょう。
逆に「啓示宗教」は、自然や世界ではなく「超越者」からの働きかけによって始まるものです。「超越者」からの働きかけを人間が受け取ることによって始まります。
そして、キリスト教の先駆けとなったユダヤ教は、まさにこの「啓示宗教」によって、超越者から人間へのはたらきかけによって始まりました。
旧約聖書には、「神話」や「律法」、「詩」や「文学」等、多くのことが記述されていますが、その中にユダヤ人(ヘブライ人)の「歴史」についての記述の箇所があります。
この記述によると、後に「イスラエル民族」「ユダヤ民族」と呼ばれる「ヘブライ民族」は、アブラム(アブラハム)の召命によって始まります。
アブラムの子孫はイサク、ヤコブと続きます。このヤコブは、息子の中でもヨセフを特別視していました。それを憎んだ兄弟たちは、ヨセフを奴隷としてエジプトに売ってしまいますが、最終的にヨセフはエジプトと自分の家族を救うこととなりました。
しかしヨセフが生きている間は良かったのですが、代変わりするごとにエジプトの王はイスラエル人を疎ましく思い、彼らを奴隷として使うようになってしまいました。
そこで神はモーセにエジプトからイスラエル人を開放するよう命じました。
これが有名な「出エジプト記」です。
モーセがイスラエル人を連れてエジプトから脱出したのはいいものの、食べ物もなく、何もない環境から、イスラエル人の中から不満を言う者があらわれてきました。
この時、神からモーセに託されたのが「十戒」(出エジプト記第20章)です。
「十戒」の内容は以下の通りです。
- わたしの他に神があってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の妻を欲してはならない。
- 隣人の財産を欲してはならない。
この様に、「十戒」とは人々がより幸せな生活を送るための「生活基本法」でした。
そしてこの「十戒」を収めたのが「契約の箱」です。
しかし、イスラエルの人々はこの神からの契約を早速破ってしまいます。
禁止されていた「偶像崇拝」にすがって、堕落してしまうのです。人々は自らの堕落から困難に直面する度に、神に助けを乞いました。
また、人々は自分たちにも他民族が持つような王が欲しいと神に懇願します。
そこで神はサウル王をたてましたが、彼は神に忠実ではなく、あまり良い王ではありませんでした。次に、神は新たな王としてダビデを用意しました。
ダビデは謙虚で勇敢な王でした。しかし、大きな過ちを犯してしまいます。
彼は、彼が従える兵士であるウリヤの妻と関係を持ってしまい、この罪を揉み消すためにウリヤを殺してしまいました。
ダビデすぐに自分の罪を認め、悔い改めましたが、彼の行いによって彼の家族と国は崩壊していきました。
その後、ソロモンがイスラエルの王となり、ソロモンはイスラエルに神殿を建築しました。
しかしながらソロモンの死後、王国は「イスラエル王国」と「ユダ王国」に分裂してしまいます。
そしてイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、その後ユダ王国もバビロン捕囚により独立国家を失ってしまいました。
この、イスラエル王国の滅亡、バビロン捕囚の間の反省から、「宗教」を民族のアイデンティティにしようとするはたらきが生じ、「ユダヤ教」を信仰する者すなわち「ユダヤ人」という強い結びつきが生まれました。
同時に、それまでバラバラだった(旧約)聖書の編纂が開始され、「十戒」がさらに細かく分けて記述されました。
この聖書の核となるのがモーセ五書(トーラー)で、ユダヤ人のアイデンティティに直結するものとなっています。
次回のテーマは「善と悪の定義:人間の行為と自由意志と価値体系」、5月22日の開催です。お楽しみに!
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